〜明るいけど、すこしブルーな日々〜




初秋/ロバート・B・パーカー/ハヤカワ文庫

 
私立探偵スペンサーは、パテイ・ジャコミンから、離婚した夫のもとにいる息子ポールを取り戻してほしいという依頼を受けた。ポールの奪還に成功するが、さらにパテイからしばらく息子を預かって欲しいとの依頼を受ける。スペンサーは夫婦が息子を争いの道具としてしか考えていないことを知ると、自立できていない15歳のポールに、ジョギング、ボクシング、大工仕事などを教える。この後彼の両親の抱える問題が明らかになる。

 少し前のアメリカ人が理想とするフィジカルにもメンタルにもタフな男を、弱々しい少年にトレーニングをさせることで実現させるという部分が読みどころ。ある意味でに理念的父親像が示される。ハードボイルド的自己陶酔(ハメットを除く)が痛いといえば痛いのだが、それでも普段たるんでいる世のおじさんと少年たちは一読の価値あり。

(★)



血の収穫/ダシール・ハメット/創元推理文庫

 サンフランシスコのコンチネンタル探偵社のオプ(おれ)は鉱山町パースンヴィルの新聞社社長から依頼を受ける。この街は、依頼人の父親エリヒュー・ウィルスンが長年にわたって支配してきたが、不況時に、サヴォタージュ、ストライキが横行したため、対抗手段としてギャングと手を組んでしまった。結果、街は腐敗し、老いたエリヒューもギャングの横暴をコントロールできなくなり、彼は息子のドナルドを呼び寄せ新聞社を与え、キャンペーンをはらせることとする。しかし、警護のオプが到着する前に、依頼人のドナルドは既に射殺されていた。警察もギャングの支配下にあるこの街で、彼を殺したのはいったい誰か?

 ハメットは、本格推理小説が黄金期を迎えつつある時代に、ハードボイルドという革新的スタイルをもって登場した作家である。本作に見られるように、ここでは一切のパズラー的文法は通用しない。本格推理小説のもつロマン主義的な色彩は完全に切り落とされ、リアルな人物造形と行動描写による叙述で物語が描かれる。ストイックなスタイルはスタートともに確立されるが、その後のハードボイルドの展開はその内容を変質させていくプロセスであった。饒舌なチャンドラーにはストイックさのかけらもなければ、リアルなキャラクターさえも失われているといえないだろうか。私はハメットを中学生の時に読んだが、ずっと後年読んだチャンドラーを評価し得ない(つまり好みではないということ)のは単なる刷り込みなのだろうか。

(測定中)



歯と爪/ビル・S・バリンジャー/創元推理文庫

 ニューヨーク地方裁判所である男が身に覚えのない殺人事件で裁判を受ける。次々と不利な証拠が突きつけられていく。それと平行して奇術師リュウによる復讐のもう一つのストーリーが物語られる。この二つのストーリーの行方はどうなるか。結末を袋とじにして、最後を読むことなく返品すれば御代は返却という趣向付きの本である。

 よくできたサスペンス・スリラーである。一本の話を二重に楽しませようという構造となっている。つまり、犯罪を取り扱う小説では、犯人の物語と捜査側の物語という二面性を、前者であれば倒叙もの、後者であれば探偵ものと普通は描かれ分かたれており、それを同時に描くことはされない。しかし本作は、読者を引っ張っていくドライバとなる謎にある仕掛けを施すことで、普通であれば表裏同時に見せることのできないものを同時に見せることに成功している。そのアイディアと腕前はさすが。とはいえ、結末だけが本作の魅力ではないことはちょっと読めばわかるわけで、御代を返します云々の趣向は、正直ちょっと興醒めではあるけど。

(★★★)



フィッツジェラルドをめざした男/デイヴィッド・ハンドラー/講談社文庫

 元ベストセラー作家のホーギーは、若き天才作家キャメロン・ノイエスの伝記を書くこととなる。ノイエスはフィッツジェラルドのような文学の才能に加えて美貌と野性的な性格を持ち、女性関係も派手に楽しんでいるようにみえるが、第1作の成功に続く第2作目を書けずに苦悩している。ホーギーは彼に対して自らも同じ種類の経験をしたことから、特別な関心を持つ。仕事を開始したホーギーは、彼の周囲を調べるうちにタッチーな過去を掘り起こさざるを得ず、今回も脅迫を受け、ついには関係者の中に死者を出すことにもなってしまう。

 主人公が有名人からの依頼で伝記を書く作家というシリーズの設定がユニークで(私にはちょっと肌があわないが)、しかもうまくストーリーとマッチしている。キャラクターの造形は手際よく、特にキャム・ノイエスのミステリアスであり脆くもある部分を含んだキャラクターは本作のコアを形成するものである。シリーズに共通しているところであるが、ホーギーのインタビューのシーンで、何かを隠そうとするインタビュイーとその中から真実を見つけ出そうとするホーギーのやりとりはアクションシーンなどよりよほどサスペンスにあふれている。また、下手なハードボイルドのように主人公の気色の悪い自己憐憫のようなものもなく、非常にすっきりと読むことが出来る好品である。


(★ 2002)



幻の終わり/キース・ピータースン/創元推理文庫

 硬派の新聞記者ジョン・ウェルズは、ある晩著名な戦場ジャーナリスト・ティモシー・コルトと出会い、意気投合する。しかし、彼のホテルの部屋で酔いつぶれ ているとジョンの目の前で謎の闖入者によってコルトは殺されてしまう。手がかりは彼がアフリカの小国セントゥーで活躍していた過去とその時彼が愛したエレ ノアという名の女性だけ。ジョン・ウェルズは、その後も命をつけ狙われながら、徐々に真相に迫っていく。

 主人公ジョン・ウェルズのキャラクターは世間で紹介されているほど屈折した中年ではなく、どちらかといえば、頑固で思い込みが強く、そう したことで対立してしまう自分に対する憐憫を持っているタイプで、つまり、多かれ少なかれ中年になると現れてくる現象に満ち溢れた男。本作では、彼の弱い内面と虚勢を張る外面のギャップをドライに過ぎないように描いて見せている。

 しかし、本作のドライビング・フォースとなっているキャラクタはやはりエレノアということになるのだろう。ウェルズにとっては伝聞でしか出てこないこの 女性を如何にリアルに描くかが本作の肝であるといっても過言ではない。そう考えてみると、ちょっと肝心なところで食い足りない印象が残ってしまう。コルト が彼女を愛するのはわかるが、どうしてウェルズま で夢中になってしまうのかが、決定的に弱い。革命前夜の途上国で活躍したジャンヌダルクのようなエレノアは、説明はされていますが、描写はされ ていません。それが弱さの原因であろう。

 終盤に来てウェルズの恋人チャンドラ・バークとの関係に絡めてウェルズの物語にしようとはしているが、エレノアの弱さゆえ、全体に説得力が減じられている。

(2005/06 ★)




暗闇の薔薇/クリスチアナ・ブランド/創元推理文庫

 元女優のサリーは嵐の晩に倒れた木に車の行く手を阻まれるが、そのとき倒木の向こう側に現れた車と交換し帰宅する。翌朝、その車の後部シートから女の死体が現れ、しかも車はもともとのサリーの車であることが判明する。サリーをとりまく友人たちは、みな風変わりで、その生活もエキセントリックなものとなっている。どこまでがサリーの妄想でどこからが現実なのか。

 あらゆる材料を提示して見せてそれらをつなぎあわせて、とりちらかったストーリーを破綻なく再構成させるのが本格だとすると、これはその定義からはみ出してしまう。最後の結末を支える伏線は何だったのか。山口雅也指摘の通り、時代は逆だがコリン・デクスターに近いというのが印象だ。途中で様様な可能性を解決として繰り出してくるあたりは手だれた職人芸である。多くの風変わりな人々を描写することで、普通の社会であればすぐそれとわかる特異な事象を埋めてしまうあたりは、『不連続殺人事件』に近いとも言えるかもしれない。

(★★ 2004)



招かれざる客たちのビュッフェ/クリスチアナ・ブランド/創元推理文庫

 本格推理もの短編集としては出色のできばえではないだろうか。シェイクスピア劇公演中のドラゴン一座に起こる殺人事件。一座の面々はなぜ一度落としたメイクや衣装を再度つけたのか「事件のあとに」、双子が起こした殺人事件「血兄弟」、横暴な資産家が再婚の結婚披露宴の最中に殺害され、容疑者は絞られるが…「婚姻飛翔」、倒叙もの。夫との不倫をでっちあげる看護婦を殺害する医師の妻は決定的なミスを犯す「カップの中の毒」、犯罪関係者の子女を保護してきた男が不可解な状況で殺害される「ジェミニー・クリケット事件」、偉大な奇術師の付き人が病院の落成式の会場で射殺される事件に関係した警官の息子が真相を追求する「スケープゴート」、他「もう山査子摘みもおしまい」「スコットランドの姪」「ジャケット」「メリーゴーランド」「目撃」「バルコニーからの眺め」「この家に祝福あれ」「ごく普通の男」「囁き」「神の御業」どの短編もひとひねりいれたものばかりで、良作そろいであるが、やはりコックリル警部ものの最初の4編は特によい。「事件のあとに」の犯人である役者をうまく隠蔽する叙述技術は最近のミステリーでもちょっと品を変えて登場している手法であるが、メイントリックは別の所にある。「婚姻飛翔」は論理の展開がなされていくわけではないが、容疑者たちの可能性が次々に消えていき、最後に真犯人が告げられると、それまでの物語から犯人が反転するところが見物である。

(★★ 2004)



ヤクザ・リセッション さらに失われる10年/ベンジャミン・フルフォード/光文社文庫

 わが国の失われた10年の不況の一因である不良債権問題に対して、政官財の「トライアングル」癒着の影にヤクザが絡むという腐敗構造が問題であると指摘している。バブル期のヤクザ=政治家=銀行による不動産投資(地上げ)やよりタチの悪い経済犯罪、ヤクザによる官僚の無駄な公共事業への関与やヤクザの政治そのものへ根深く入り込んだ構造が、日本という国の「泥棒国家」としての姿である。国富をならず者たちに好きなように食われてしまっている国民はこうしたシステムを自らどうすることも出来ないでいる(もちろん刃向かえば暴力装置としての機能が発揮される。事実、自殺の形で葬り去られた人々は枚挙に暇がない)。このままでは次の10年も失われてしまうかもしれない。

 FORBESの太平洋支局長が非常にセンセーショナルにわが国の状況を描き出している。まるで小説か映画のようで、本書に書かれている全部を信じてしまってよいとは思えないが、我々の身近に一つや二つはあるエピソードを思い浮かべると多くの真実を含んでいるのは否めないであろう。

 確かに金が動くところに常にヤクザの影があるのは最近のことではなく、そうした暴力に立ち向かうのではなく、それを利用しながら親分さんに大事なことを仕切ってもらっていた風土というのはわが国にある。だが過去には、親分さんたちは社会の上層にでばってくることはなく、いわば分をわきまえていたが、時代とともに、ヤクザは組織化を強め、集金力を高め、その経済力と面倒ごとを処理できる暴力を背景に社会の上層部へのしあがっていった。それを便利とする政官財のエゴがあったのだろう。

 そこを見る限り、わが国は良くも悪くも近代国家となりきれていないと断じざるを得ない。なぜわが国の経済が一向に浮上しないのかという点への一つの視点を提供してくれるが、それ以上に、わが国における正義とは何かを考えさせてくれるものでもあった。我々はどの方向に努力し、如何なる形でクリーンでフェアな社会を創造していくのか。問題はそこにある。意外な収穫。


(★★ 2004)



裁くのは誰か?/ビル・ブロンジーニ&バリイ・N・マルツバーグ/創元推理文庫

 合衆国大統領のニコラス・オーガスティンは、任期の最後の半年で外交・内政に関する失言で支持率を落とし、党内でも二期目は別の候補者でいこうとする動きが出ている。彼はそうした世論やマスコミ、党の流れに抵抗しつづけている。やがて、大統領の側近たちが裏切り行為を行っていると考える何者かが「慈悲の行為」として彼らの暗殺を開始する。

 米国の大統領をとりまく事象とそこで起こる連続殺人ということであれば、結末はどうであれ、もう少し描き込みが必要なので(特に米国の小説であれば、これ見よがしにデータが羅列されるのが普通。日本のだと、そういう種類の小説でもこのくらいの情報量でも平気なんだろうけど)、地の文の方でなんか妙だなと思う。

 しかし、権威に負けたというわけでもないが(?)、まさか大統領まで引っ張り出してきてこのトリックはないと思いこんでしまう陥穽をつかれる。設定や舞台とのギャップでこのトリックをうまく見せたということか。凡庸だとは決して思わないが、驚天動地の結末というには遠いのでは。

(★ 2005/04)




星を継ぐもの/ジェイムズ・P・ホーガン/創元文庫

 真紅の宇宙服をまとった死体月面で発見され、分析してみると、このチャーリーと名づけられた男は5万年以上前に死んでいたことが判明する。彼は異星人なのか、それとも地球人なのか。謎の解明が容易に進まない中、衛星ガニメデで宇宙船の残骸が発見される。様々な証拠が指し示すのは、地球人の源流の謎であった。

 SFになくてはならないものは、かつてSFが日本でも輝いていた時代によくいわれたのが、sense of wonderである。それはミステリーも同じで、あざやかな謎が提示され、物語が展開されて行くにつれ読者はあれよあれよという間に想像もつかないような地点へと連れて行かれる。よくできた物語とはそういうものでなければいけない。本作は、虚実ない交ぜのさまざまな証拠と仮説が登場しては読む者をおもいもよらない世界へと引きずりこんでゆく。異論はいろいろあるとは思うが、圧倒的なエンタテインメントであることだけは確かである。高校生でこの本でしびれてしまったが、その後SFで同じsense of wonderを味わったことはない。加藤直之のカバーイラストがしぶい。

(★★★★ 1984)



未来からのホットライン/ジェイムズ・P・ホーガン/創元文庫

 スコットランドの古城に住む引退したノーベル物理学者が情報のみを移送できるタイムマシンを完成させてしまう。技術コンサルタントのマードック・ロスは友人の招聘され、この装置を使って、時間についての実験を行うこととなる。ところが、ある時、試験運転が開始された新型の核融合炉について、この装置が意外な事実を明らかにして行く。地球の滅亡は救われるのだろうか?

 ホーガン節が炸裂するSF興趣が盛り込まれたメインストーリーとマードックとアンのロマンスが絶妙に融合した時間物SFの傑作。エンタテインメントといえども多様な見方、楽しみ方ができるものこそがより高度なものであるといえるわけで、その意味でも本作は非常に高い水準のエンタテインメント小説と言えよう。マードックとアンの物語はこのメインストーリーがなければ成立しないラストシーンを見せる。私は、この作品が大好きで(『星を継ぐもの』以上)、高校生のときにこのストーリーを剽窃して8ページのマンガを描いたものだ。

(★★★★ 1983)




報復/ジリアン・ホフマン/ヴィレッジブックス

 12年前にニューヨークで残忍なレイプの犠牲者となった主人公クローイは、過去を捨てるため、名前も髪の色も変えフロリダに移り住み、今は州司 法局の辣腕検察官C.J.タウンゼンドとなっていた。ある日、彼女が追っていたフロリダ中を恐怖に落とし込んだ連続猟奇殺人鬼“キューピッド”事件の重要 容疑者が路上でパトロール中の巡査によって偶然逮捕される。予審でキューピッドの声を聞いたタウンゼントは、この男が自分を襲った男であることを確信し、 今日まで癒やされることはなかった悪夢のような事件の心の傷に苦しみながら、連続殺人事件の真相が揺らぐ中、裁判で有罪を勝ち取るべく戦いを始める。

 テンポのよさと適度なサスペンスで一気に読ませてしまうエンターテインメント小説である。ちょっとバランスが悪いのは、レイプや遺体の描写で、正 直過度にグロテスクに感じられ、ここまで描く必要があるのだろうかとちょっと疑問。C.J.と同じものを共有することで彼女の苦悩や決断に共感させる ためだろうか?それとも猟奇的なるものを扱うからには、この程度の描きこみがないと今やホラー映画等を通してさんざんグロテスクで残酷なシーンを映像とし て見せられている読み手を惹きつけられないと考えたのだろうか?リアリティと描写の問題として、本作が理想的であったのかどうかはやや疑問なので、もっと 別の解決を見ているサイコ・ホラーでもあればもっと考えてみたい。

 キャラクターとしては、主人公のC.J.はよいとしても、恋人となる捜査官のドミニクや相手弁護士ルアド・ルビオが薄っぺらい印象に終始してしまう。特にドミニクは、二枚目でたぶんタフな男という役柄なのだろうけど、ストーリーの中で男女のからみ以上の実質的な役割が与えられていないし、この 男に魅かれることによって主人公の何かが見えるになるようにもなっていない。単なる美男美女のカップル。相手弁護士のルビオはもっと貧困なイメージで、 やり手で美人、時に正義とビジネスの間で悩むというステレオタイプでしかない。この2人以上に重要なのは、容疑者のバントリングがサイコキラーとしての キャラが立っていないこと。粗野で下品で知能指数があまり高くないが、社会的地位を築いた美形で、ちょっと見には女性陪審員から惚れられてしまうよう なキャラクタってどうなのだろう。つぎはぎな感じ。こうした主要登場人物である彼らに対して、秘書のマリソルと彼女を毛嫌いするC.J.の関係は非常にリアルなイ メージを作り出すのに成功している。秘書に対して、ピンクの服を着たデブの死体をイメージするC.J.のモノローグが秀逸である。

 ストーリー展開としては及第点でしょう。どんでん返しを示唆しつつそれをストーリーを引っ張るもう一つのエンジンとしており、誰がもう一人 の犯人かということは大した謎ではないですが、C.J.に対するプレッシャーとして利いてくる点は読む者を飽きさせない。米国のサスペンス小説としての 定石はきちんと踏まえられているというところか。

 宣伝の引き合いに出されているコーンウェルと比較することはあまり意味があると思えないが、評価を確定するにはまだ2,3冊読むまで留保せざるをえない。

(★★ 2005/03)



ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件/ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アドルフォ・ビオイ=カサーレス/岩波書店

 身に覚えのない肉屋殺しの罪で20年の懲役刑に服している元理髪師のドン・イシドロ・パロディが、彼に相談に現れる面会者の話を聞くだけで事件を解決する短編集。
 新聞記者のモリナリは知人から勧められイスラム教ドゥルーズ派の加入儀式を受ける。奇妙な儀礼が終わり、彼は目隠しをし長い竿を持って人を探すと、彼の友人が死んでおり自分の持つ竿は血で汚れていた「世界を支える十二宮」
 舞台俳優モンテネグロは列車でゴリアドキンというダイヤの取引業者と同室となる。この男は過去に皇女のダイヤの原石を盗んだが、今では何とかそれを返そうとしているとのこと。だが、彼は何者かによって列車から突き落とされる「ゴリアドキンの夜」
 詩人アングラーダかつて女性と文通していた手紙の束を紛失してしまう。モンテネグロは彼らを農場で保養させることにするが文通相手の夫が刺し殺される「雄牛の王」
 妻を早くに亡くした受勲者サンジャコモの一人息子のリカルドが婚約することとなる。両家が集まった翌日、婚約者は毒殺される「サンジャコモの計画」
 ホテルにタデオ・リマルドと名乗る田舎者が現れ、揉めごとを起こしながらホテルに居座り続けていたが、ある日死体で発見される「タデオ・リマルドの犠牲」
 魔術師タイ・アンは中国の秘密の湖の至聖所から盗まれた護符の宝石を追って、アルゼンチンへとやってきた「タイ・アンの長期にわたる探索」

 ミステリーとして読むとやや不満が残るかもしれない。我々からすると舞台がエキゾチックで設定が神秘的であったりする(この部分はそれとして楽しめる点ではある)ので、見落としてしまいそうだが、ドン・イシドロ・パロディのもとに持ち込まれる事件は、謎は語り手の思い込みが作り出しているということが浮かび上がってくる。そこの構造は、少し京極夏彦的なのかもしれないし、あるいは叙述によってトリックをしかけようという一連の小説のようでもある。もう少し読んでみないとわからないことも多いので、いずれ再読する必要があると思っている。

(★ 2000)





サーチする:
Amazon.co.jp のロゴ


読書雑記へ

トップページへ戻る


SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO