〜明るいけど、すこしブルーな日々〜



ソシュールと言語学/町田健/講談社現代新書

 ソシュールが挑んだ言語の本質とその後の展開が非常に簡潔に解説された本である。ソシュールは、言語行為をラングとパロールに分割し、言語学の対象をラングに限定する。これは意味を話し手から聞き手に伝える社会的な約束のことである。ラングが伝達するものは記号であり、記号はシニフィアン(表示部、意味するもの、知覚できる音や図形の集合)とシニフィエ(内容部、意味されるもの、事柄または事物の集合)の対であるが」、両者は恣意的な結びつきでしかない(第一原理「言語記号の恣意性」)。言葉とは単語が一定の規則に従って一列に並ぶことで意味を表すもの(第二原理「言語記号の線状性」)。この原理に従えば、あるひとつの単語の意味を決めるには他と違うということを考慮しないといけないことになる。つまり、言語には、単語の意味を他の単語との関係で決定する「体系」がある。「体系」内の要素の価値(意味)を決める要素(単語)が線状に並べられて、形成される「構造」にソシュールは言語の本質を見出した。

 このソシュールの思想は継承され、音素分析のプラハ学派、関係性を重視し「言語代数」という手法をとるコペンハーゲン学派、事物から音声への過程こそが言語の本質とする言語過程説の時枝誠記、具体的な言語事例を構造主義的に分析したバンベニスト、言葉の変化を経済性で分析する機能主義のマルチネなどが紹介される。

 構造主義の源流をたずねてみようと思って読み始めた。内容は、構造主義そのものへの理解を深めるような種類のものではなく、人間の最も人間たる所以である「言語」を人々がどのように理解し尽くそうとしたかの格闘の歴史が記されている。

 コトバを記号と位置づけ、そこに実相がないとし、その意味するものとは完全に恣意的な関係となっており、意味はコトバの体系の中で初めて規定されるとしたことはソシュールの輝かしい成果である。しかし、ここから彼とその後継者たちが、普遍的な公理のみに基づいて科学的に言語を解明していこうとすることで、大きな壁にぶつかっていった。実際、本書のソシュール以後の展開を読めば読むほど、言語学としての分析はソシュールの偉大な発見以降大きな進捗を見ていないように思える。もしかするとまったく別のアプローチが必要なのかもしれない。新たな天才が現れないと。

(★★ 2005/01)




点と線/松本清張/新潮文庫

 安田は、料亭「小雪」の女性と東京駅にいたが、そこからいくつか向こうのホームに同じ「小雪」のお時と佐山を見かけた。それから1週間後、2人は博多近くの海岸で、青酸カリ中毒による死体で発見された。ありふれた心中事件かと思われたが、刑事鳥飼は、2人の死に疑問を感じ、捜査を開始する。鉄壁のアリバイは崩れるのか?

 言わずと知れたアリバイトリックの傑作で、私が中学生の時分は、日本の推理小説といえば本作があげられるほど人口に膾炙した小説であった。著者は、新本格のムーブメントの中では、社会派推理小説を推進した人として、何となく敵役のように語られているが、本作などは、大仕掛けの新本格とは一味違う地味ながらもアリバイ崩しをメインにすえたトリック小説である。もちろん地味なだけではなく、冒頭の東京駅のシーンのように日本のミステリー界屈指の名シーンもあり、上質のエンターテインメントであることは確かである。また、蛇足ながら不自然なものでも小説世界の中で自然に見せてしまう筆力というのはこういうことをいうのだなとあらためて感じた。

(★★)



腐った組織をどうやって救うのか/丸瀬遼/日本実業出版社

 本書は、長銀破綻の組織に起因する原因の分析を通して、旧来型日本企業の組織としての失敗要因の一般化を図ろうとしているもの。機動性の欠如した意志決定のシステム、経営の不在と企画部門の肥大といった日本企業であれば必ずどこかにある問題を提示してみせる前段を受けて、後半では、その対策が論じられる。

 とあるアナリストが銀行株の分析をする(そんなにフォーマルなものではなく、テーマは銀行は普通の会社になったか的なもの)中で引用され面白そうだったので購入。かぎかっこつき「経営」についての記述(新商品開発の例示が秀逸です)はまったくもって私が属している組織にも当てはまり、いやになるほど。醒めてみれば、負け組サラリーマン(長銀OBだからという意味ではなく議論のコンテクストして)の愚痴の延長のようにも読むことも可能だし、反省は既得権益者たる主流の中からは出てこないので有効な警告材料としてとらえることもできるはず。

 自分の組織なので、「ほら見ろ、やっぱりこの組織は腐っていた」といったところで溜飲を下げたことにはならなにので、虚心坦懐自分の立ち居振舞いなどを省みる一助とせねば。内容的にはいきいきと組織の問題をえぐりだす前半に対して解決の途を示そうとする後半が迫力に欠けるか。

(★★ 2004)



魔術はささやく/宮部みゆき/新潮文庫

 横領事件を起こし失踪した父を持つ日下守は叔父に引き取られて育てられていた。その叔父が運転する車は、何かから逃げるように飛び出してきた女をはねた。守は犯罪者の子という自分の内なる呪縛を打ち破るべく、叔父の無実の証明のため、真相究明に乗り出した。やがて、彼は都会の裏側に潜む恐ろしい真実と直面し、決断の時を迎える。

 本作のクライマックスは、守の決断のシーンである。ここで彼は何を選び何を捨てたのだろうか。過去と未来、不純と純粋、憎悪と寛容・・・、それは読者が考えるべきものであるが、そこに現実感はあるだろうか。少年はこうでなければならないというものを選択するこのストーリーはアンパンマンやハリーポッターと同じく(けなすものではなく)、現代のファンタジーとでもいうべきものである。

(★)




マツダはなぜ、よみがえったのか?/宮本喜一/日経BP

 本書では、バブル崩壊と同時に経営が傾き、フォード傘下で再生を図っていたマツダの再興の過程が説き起こされる。本書の半分のページが割かれている「製品開発編」はマツダの象徴であるRX-8の開発物語で、エンジニアリングの現場と、経営の現場との激しいぶつかり合いの中から、マツダのモノづくりの神髄が発揮される過程が描かれている。続く「経営・マーケティング編」では、経営の建て直しを、コスト削減、ブランドの立て直し、フォード指導の下での経営改革の3つのプロセスで解説されていく。

 マツダの再生のプロセスは、「ものづくり企業」再生の一つの重要なモデルを提示しているといえる。技術なくして製造業の未来はないのはいうまでもないが、その技術は経営なくして、その真価を発揮できないというある意味では当たり前のメッセージが現場と経営のぶつかり合いの中から見えてくる。

 しかし、日産のゴーン改革の見えやすさと比較してマツダの経営改革の見えにくさの違いはなんであろうか。それは、本書にあるフォード出身の社長がマツダ創業者の墓参を欠かさないというエピソードに示されているのではないだろうか。フォードは、三つの長いトンネルのそれぞれの時期に合わせ、そのミッションに最適な人材を経営者として送り込んでいるが、そこに共通するのは、創業者に対する敬意であり、それは裏を返せば、損得とは別の会社に対する愛情ではないだろうか(少しひねくれてみれば、愛社精神があることを見せることが重要と考える思考方法。それも程度は異なるが同じことを意味している)。損得抜きの会社に対する奉仕は、外からは見えにくいものである。それが無条件で善である時代は終わったのかもしれないが、人が作り出す「技術」には損得抜きの何かが重要な要素となっているのも真理であろう。

 マツダは生まれ変わった。トヨタ、ホンダ、日産など強力な競合相手にはさまれながら生きていく途を見つけ、フォードグループの中核企業になるまでになった。次は、業況が悪化しつつあるフォード本体の改革ということになろう。陳腐な言い回しではあるが、自動車業界の生き残りをかけた競争は一アタマ抜けつつあるトヨタ以外にとっては、終りなき熾烈さを強めている。

 それにつけても、三菱自動車のパートナーたる悪名高いドイツ系企業は、フォードとは比べるべくもない。パートナー選びは慎重に。

(★★ 2005/03)





大人の男のこだわり野遊び術/本山賢司、細田充、真木隆/山と渓谷社

 この本を近所の小さな図書館から借りて読むのも、今回で3回目。

 アウトドアの達人によるキャンプマニュアルのような本とはまったく異なる趣の本である。その大部分は、道具の話に費やされ、それも手に入れやすさ(少なくとも街のアウトドアショップでは)とか、手軽さ(便利でない、ということは意味しない。むしろその正反対)とはまったく無縁のものを紹介している。本当の使いやすさをフィールドの経験から説く。そして、本書の読みどころの焚き火にまつわる蘊蓄。

 たぶん、ずばりそうは書いていないが、世の中のオートキャンプ場に集う人々の行動が気に障るのであろう。それは、そうした「なんちゃってアウトドア」派が素人だからではなく、自然のフィールドの中での振る舞い方をわきまえていないからに相違ない。この書が伝えるのは、アウトドアに飛び出す者は、己を知り、分をわきまえ、自然の中で謙虚にしかも真剣に遊ぶべしというメッセージである。

 グッズに関しても、メーカーの与えるモノを盲信するのではなく、自分の頭で考えよということだと思い、いろいろともっとよいものを考えて行動するようにしているが、寝袋だけはけちってはいけない。それと、「なんちゃってアウトドア」派なので、ものすごく簡単に設営できるタープをついに買ってしまった(これも堕落か)。とはいえ、この本の書きぶりには、スノビズムが相当紛れ込んでいるのも、否定できない。

(★★★ 2005/05)




黒猫の三角/森博嗣/講談社文庫

 阿漕荘に住む一癖のある面々が、大家の夫人が屋敷のパーティ中に鍵のかかった自室(外部からも監視されていたという点がみそ)で絞殺されて発見されるという密室殺人事件に挑む。

 シンプルなトリックであるが、現象としては、物理的位置を文字情報で伝えることの困難が手がかりをささえているのではないかと思う。雰囲気は悪くない。犯人と瀬在丸紅子との間の殺人に対するとらえ方のディスカッションが興味深い。しかし、この作家の傾向として、そのメインに取り上げられている議論には主題がなさそう。言葉遊びや文字遊びが随所に登場し、本筋の殺人事件の記号化が象徴されているようである。

(? 2004)




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