〜明るいけど、すこしブルーな日々〜




考具―考えるための道具、持っていますか?/加藤昌治/TBSブリタニカ

 アイデアを出すための技術をまとめて紹介するノウハウ本である。必要に応じて使い分けていく(例えば、「情報がアタマに入ってくる考具」「アイデアが拡がる考具」「行き詰まったときの考具」などなど)のだが、どのツール(というか頭の働かせ方や手の動かし方)もなかなか魅力的だし、先人たちの知恵が反映されているよう。とてもシンプルな構成で、正直お値段的にはちょっと損かなとも感じなくもなかったが、本の値段は文字数やページ数で決まるかのような卑しいことをいってはいけなかった。

(★ 2003)



空飛ぶ馬/北村薫/創元推理文庫

 主人公は国文学者を父に持つ二十歳の文学部女子学生、私。彼女が日常に直面する不思議な事象を、落語家の円紫師匠が解き明かして行くという短編小説群である。機微をわきまえた上品な語り口で、デビューの頃、作者は女性であるという説が流れていたらしい。

「織部の霊」私と円紫師匠の出会いのストーリー。古田織部の切腹の夢の原因を解き明かす。
「砂糖合戦」ある喫茶店で見かけた砂糖をいれる少女達とその悪意が描かれる。
「胡桃の中の鳥」私の旧友の車からシートカバーが消えてしまった謎を解く。
「赤頭巾」年配の女性は何のために赤頭巾の話をするのか。
「空飛ぶ馬」クリスマスイブの前の夜、木馬が消えた謎が描かれる。クリスマス・ストーリー。

 頭がよく、育ちもよい女子大生が自分の身の回りのことを淡々と描いたら、こんな本が出来るのではないかと思わされてしまうが、それは完全に作者の術中に嵌っているということだろうか(前提となる現実がリアリティを失っているのだからしかたない)。推理小説は、本格あり、ハードボイルドあり、社会派あり、様様な流派が存在しているわけだが、本作のような私小説的な流れはトレンドと関係なく生きつづけ、推理小説の底流としての本流なのかもしれないなどとちょっと思ったりもする。

(★★★)


夜の蝉/北村薫/創元推理文庫

 主人公は国文学者を父に持つ二十歳の文学部女子学生、私。彼女が日常に直面する不思議な事象を、落語家の円紫師匠が解き明かして行くという短編小説群第2作。

「朧夜の底」書店で見かけたちょっとした変調と悪意。
「六月の花嫁」私が旧友と共に軽井沢の別荘に遊びに行く。そこでの謎掛けの遊び風の事件から円紫師匠はあることを見ぬく。
「夜の蝉」歌舞伎の切符の郵送に関する謎。

 前作同様、小さなハプニングとその背後の人の心の動きが明らかになっていく。男女を問わず読者が感情移入する「私」の成長が次々に語られていき、読み手は自分の若い日の原点を確認し、あったであろう別の形の成長をも予感する。そんな小説である。

(★★)



顔に降りかかる雨/桐野夏生/講談社文庫

 夫を自殺で失なうという過去に苦しむ村野ミロ。親友のフリーライター耀子の不倫相手である成瀬が彼女の部屋に押しかけてくる。成瀬は、中古車ディーラーで後ろ暗い仕事にも手を染めているような男であるが、耀子が会社の借りた大金を持ち逃げしたと告げる。ミロは耀子が金を持って逃げたことを信じられなかったが、いきがかり上成瀬とも協力しながら調査を開始する。

 桐野夏生デビュー作。陰のある登場人物とテンポのよい展開で、一気に読ませる。ネオナチや死体愛好などの屈折した今日的ファクターをさらりと(時には、力強く)織り込んでおり、退屈させない。個人的には、全体に生々しい描きこみがちょっともたれてしまうが、江戸川乱歩賞にふさわしい佳作である。

(×)



姑獲鳥(うぶめ)の夏/京極夏彦/講談社ノベルズ

 物語の語り手は、三文文士関口巽、探偵役は、古本屋《京極堂》を営む憑物落としの神主中禅寺秋彦。関口は雑誌に寄稿するため、没落の一途をたどる久遠寺家で、次女が失踪した夫の子を二十ヶ月も孕み続けているという怪異現象を調査する。これは人知を超えた怪異現象なのか、それとも・・・。中禅寺秋彦は言う、「この世に不思議なことなど何もないのだよ」と。

 京極夏彦衝撃のデビュー作である。この後に続く「妖怪」シリーズの中では、謎から解決への流れをとってみると、本件が最もバランスがとれているように思える。ペダンティズムの切れも1番ではないか。ミステリーに新風を吹き込んだことは確かであるが、狂言回しの関口の役回りやキャラクター造詣などが、新本格に登場するワトソン役たちと寸分たがわぬものとなっているところが、興味深い。新本格という潮流を支えるのは名探偵でもトリックでもなく、記述者なのだなあとちょっと感慨に。

 私は、この作家の「妖怪」シリーズを東南アジアのある国で過ごした時期にまとめて読んだものである。日がな一日、ホテルのラウンジのカフェテラスや日本食レストランで冷たいものを飲みながら過ごしたことが思い出される。

(★★ 1998)



魍魎の匣/京極夏彦/講談社ノベルス

 鉄道事故で重傷を負った大財閥の相続人である柚木加奈子が運ばれたのは、脳のみを分離し箱にいれることで生命の永遠を獲得しようという研究を行っている美馬坂近代医学研究所であるが、少女は大勢の警官が監視していた目の前から消失してしまう。他方、手と足だけが発見されるバラバラ事件が相次ぎ、この犠牲者がお筺様という宗教に加入していたことが判明する。関口巽と《京極堂》中禅寺秋彦は、これらの事件の奇妙なつながりを解き明かして行く。

 本作は一体なんなのだろう。到底、画一的な推理小説の枠の中に入れられるようなものではないのはもちろんだが、ホラーでもあり、SFでもあり、楽しみどころ満載の一品である。ということは、その中のどれか一つだけを期待して読むとがっかりしてしまうことにもなるわけだが。いずれにしても、圧倒的なエンターテインメントであることは確かである。

(★★ 1998)



狂骨の夢/京極夏彦/講談社ノベルズ

 過去の記憶を失っていた朱美は、8年前、彼女の前夫が兵役を忌避した後、首なし死体で発見され、その犯人とされる女性を彼女が絞殺したという事件について語り出す。同じ頃、関口巽は怪奇小説家の宇多川崇から、妻である朱美の見る復活した死者を殺すという悪夢について相談を受ける。一方、教会で朱美は相談するが、牧師と教会の居候はそれぞれの過去に苦しんでおり、問題はもつれていく。そうした中、宇多川崇が殺害される。

 今回は「骨」を巡る事件を縦糸に、「記憶」という事象を横軸に絡ませた物語になっている。本格あり、キャラ萌えあり、ホラーあり、SFありとなんでもありの京極ワールドが少々パワーを落しているように見える。不思議なものが不思議でないという物語のスケルトンが、本作ではちょっと弱かったのかもしれない。記憶は本当に不思議なものだけれど、みんながすでにそう思っているものをもっと不思議に見せるのは作者をもってしても至難だったということか。

(★ 1998)



鉄鼠の檻/京極夏彦/講談社ノベルズ

 中善寺敦子と飯窪季世恵、鳥口守彦の3人は、取材で箱根を訪れ、取材先の明慧寺に近い旅館「仙石楼」で、明慧寺の僧侶の死体が突然現れる事件に遭遇する。同じ頃、京極堂と関口は古本の鑑定のために箱根に来ており、奇妙な書を見つけていた。一方、謎の寺明慧寺では、次々と奇妙な僧侶殺人事件が発生し、京極堂が立ち上がる。

 京極版「薔薇の名前」というところか。禅宗を巡る議論は興味深い。憑き物落としという行為と言葉との関係が掘り下げられ、シリーズの奥行きが深まったように感じられた。どうでもよいことだが、一連の京極堂シリーズを読んでいると何度も何度も出てきてどうもその語感が気になって興ざめになってしまうフレーズがある。

(★★ 1998)



絡新婦の理/京極夏彦/講談社ノベルズ

 東京の四谷で発生した目潰し魔連続殺人事件を追う木場刑事。自分の友人である男が容疑者として浮上し、追い詰めるが「蜘蛛に訊け」と言い残して姿を消す。一方で、「蜘蛛の僕」なる黒ミサ集団が暗躍し、呪われた相手が絞殺されるという聖ベルナール女学院で連続絞殺魔事件が発生する。次々と名家織作家と関わった人々が事件に巻き込まれていく。そして、京極堂は、一見別々の事象が一人の人物によって巧妙に仕組まれている真相を解明する。

 事件は複雑になり、それとともに空間的なあるいは端的に量的な拡がりを持っている作品であるが、前作『鉄鼠の檻』にあるような、京極堂世界そのものの拡がりは見えてこない。人と事件のありようが蜘蛛に象徴的に化体しているのだが、そのストレートさの評価が難しいところ。

(★ 1998)



邪馬台国はどこですか?/鯨統一郎/創元推理文庫

 カウンター席だけのバーで三人の客が歴史上の事件の新解釈を行う歴史ミステリー。三谷敦彦教授と助手の早乙女静香に加えて常連客の宮田六郎が論戦を繰り広げる。

「悟りを開いたのはいつですか?」ブッダの出自と悟りの真相に迫る。
「邪馬台国はどこですか?」標題通り。ひっくり返った日本地図が秀逸。
「聖徳太子はだれですか?」聖徳太子と推古天皇と蘇我馬子は同一人物だという仮設を検証する。3人が同一人物と言うのはともかく、太子の実在にかかる議論は必ずしも荒唐無稽の論ではないらしい。
「謀反の動機はなんですか?」本能寺の変の真相。
「維新が起きたのはなぜですか?」勝海舟の謎に迫る。
「奇跡はどのようになされたのですか?」イエスの奇跡に迫る。

 私は歴史が好きなので、本作にあるような人を食ったような論説はかなり好きである。世の中的には「バカミス」などと言われているが、誉め言葉ということで理解しよう。これらの中では「奇跡はどのようになされたのですか?」が最も推理小説的で、その意味でのミステリーとしてのできは1番良いのではないか。

(★★★ 2000)



九つの殺人メルヘン/鯨統一郎/カッパノベルス

 渋谷の日本酒バー「森へ抜ける道」で、現職刑事の工藤とその友人の犯罪心理学者山内とマスターが、最近起きた事件の話をしていると、女子大生の常連客桜川東子がメルフェンになぞらえて事件の真相を見抜くという形式の連作短編集。

「ヘンゼルとグレーテル」77歳の女社長が殺され、会社関係の容疑者が浮かび上がる。
「赤ずきん」マンションの一室で、森戸キンと孫のいずみが殺されていました。容疑者は第一発見者でいずみの恋人の三田村勉。一番疑わしい森戸いずみの義母とその恋人には完璧なアリバイが。
「ブレーメンの音楽隊」火災で楽団メンバーの3人の男が焼死。その家には出入りがなかったと証言が出るが。
「シンデレラ」ホテルオーナーの息子の恋人が転落死。彼にはアリバイがある。
「白雪姫」17歳の少女が撲殺され、義母と第一発見者が容疑者として浮上。
「長靴をはいた猫」出会い系サイトのサクラが絞殺され、サイトの管理人に容疑がかかる。
「いばら姫」タレントの恋人が服毒自殺。この自殺は偽装ではないか。
「狼と七匹の子ヤギ」自宅でひとりの保母が絞殺。同僚の保父の容疑者はその時間には幼稚園にいたというが。
「小人の靴屋」日曜日に宝石をねらう怪盗S89号の正体を櫻川が暴いてみせる。

 9編をすべて誰もがよく知る童話になぞらえているのみならず、さらに有栖川有栖氏の「マジックミラー」の中で提唱したアリバイの9つの分類をトリックにいれてあるという凝りよう。短編集としては中にはずれの作品が少なく、謎解きに終始しない楽しみも加えられていて、かなり楽しめるものに仕上がっている。

(★ 2001)



アジアの隼/黒木亮/祥伝社

 ベトナム・ハノイに駐在する銀行員(モデルは日本長期信用銀行)の真理戸潤が、オフィス開設からオペレーションをはじめとする多様な現場で直面するさまざまな問題と香港の証券会社ペレグリン(隼)の野心にあふれた活動が物語の軸である。

 私は、アジア通貨危機の直後に東南アジアの某国で生活をしており、この物語に登場する人物たちの行動や感情に強いシンパシーを感じ、今思い返すに、いかにもアジアだなというシーン(ベトナムの官僚の仕事振り等)を読むと当時のことが強く思い返されたりもする。

 また、同業であるがやや毛色の異なる仕事の私から見ると、オペレーションについての記述は勉強にもなる。私には思い入れも専門分野も重なる観点から楽しい1冊であったが、一般に小説としてのできはどうだろうか。低俗な企業小説の域を超えているのは確かだが、事実の料理の仕方にはもう一味必要のようにも思う。

(★ 2002)



果しなき流れの果に/小松左京/角川文庫

 古代石器文化の遺跡から奇妙な砂時計が発見される。その砂時計はどちらにひっくり返しても永遠に砂が落ち続けることができるものであった。その後、関係者の失踪といった奇妙な事件が続く。本編のストーリーはこの後次々と大きく展開していく。頓挫するポーカーダイス計画。21世紀半ばに人類が直面する滅亡の危機とそこに現れる宇宙人たち。上位知性体とそれに対立する存在への包囲網。そして、最後の逃亡者野々村の追跡から結末へ。物語は一気に高みへと昇華し、収束する。

 文句なしにSF文学の最高傑作である。誰もが一度は疑問に持つ謎、人類の進化と時空の永遠性をテーマにそれを過去の改ざんという形として扱ってみせる問題意識の提示の仕方はすばらしいの一言である。また、現代日本の中での出来事から時空を超えた逃走劇までストーリーテリングも鮮やかで、観念的に傾いてもおかしくない主題を、見事にエンターテインメントに結晶して見せている。

 小松左京はどちらかというとこの初期の作品群が好きで、私は高校生の時に、片っ端から読もうとしていた時期でもあったのだが、初めて本書を読んだときはしばらくはほかの本を読もうという気が起こらなくなってしまった。無限の時間と人間の認識が描かれていて、Science Fiction というよりは、Speculative Fiction に近いものである。SFが輝いていた時期の最高傑作であり、私自身はSFという表現手法に幼いながら無限の可能性を見いだしていたものであった(仮定法過去完了)。

(★★★★★ 1981)



日本アパッチ族/小松左京/角川文庫

 スクラップしかない廃墟に力強く生き抜く者たちの姿があった。失業した木田福一は「失業罪」に問われ「追放地」へと追放される。そこで彼は、スクラップを喰らい力強く生きている鉄食人間であるアパッチと出会い、アパッチとして生きていく事を決意する。その後、国家を敵に回し、最初はわずかな勢力でしかなかったアパッチたちは次第に全国に広がり、経済、政治までまきこみ全面戦争にまで発展する。

 ほんの少しだけ、この世界と違っているだけなのに、一瞬にしてまったくSFの世界へ転じてしまい、現実と向こうの世界をいったりきたり、SFは何でもアリというところを見せつつ、強力な説得力でメッセージを伝える。教養のある人は本作のようなSFを称して、現代の寓話なんていってしまうのだろうなあ。読み手にとっても書き手にとってもすぐそこに廃墟があった時代、廃墟にこめられた様々な思いを共通認識として持っていた時代背景を考えなければなるまい。少々クラシックなものとなってしまったが、とにかく読む者を引きずり込む若き小松左京のパワーはすごい。

(★★ 1981)



エスパイ/小松左京/角川文庫

 透視、念力などの超能力を持つ田村良夫はエスパイと呼ばれる国際的な秘密組織の一員だった。世界の情勢は東西陣営の軍事的な緊張が続いていたが、アメリカ大統領は、ソ連首相と手を組んで全面軍縮へと動いていた。しかし、それを阻止するためにソ連首相を暗殺しようという動きもあり、田村の任務はこの暗殺計画の阻止だった。金髪美女のマリアと組んで情報収集活動を行う中、情報屋が殺され、マリアも敵の手に落ちてし発見し潜入するが逆に捕らえられ、拷問をかけられてしまう。九死に一生を得て、脱出するが事態は切迫しており、息もつかせぬテンポで田村の活躍は続き、そして最後に、田村は敵のボスと対峙するため、宇宙空間の無人衛星に向かう。

 科学万能の時代にあって、理性の限界を見据えたかなりペシミスティックな結末を迎える本作。時代は流れ、現代社会・文明が育てた世代はより大きな課題に直面し、その中で人類にとっての理性の限界をどうとらえるのだろうか。エンターテインメントと文明論の融合はいつもながら見事なお手並みである。

(★)



明日泥棒/小松左京/角川文庫

 戸田雄三は横浜の港の見える丘で、奇妙な風体の男、ゴエモンに出会った。ゴエモンは奇妙な超能力を有しており、日本列島の真上を通る幅六百キロのベルト状のもので地球をすっぽり覆い、音を消してしまったり、世界中の爆発物を無効にしてしまったり、さらには石油もガソリンも無益な物としてしまう。戸田はこのゴエモンの行為を人間から明日を奪う行為だと非難するが、彼は科学文明のもとでこのまま殺し合いを続けていく人類が、自ら明日を泥棒していると反論する。

 最後のゴエモンの台詞のためにあるような作品で、その意味ではやや教訓がましい。ユーモアSFの袈裟を着ているが、その下から鎧が見えるようなもので、小松左京にしてはちょっと勇み足か。

(★)



継ぐのは誰か?/小松左京/角川文庫

 チャーリイを殺す、という殺人予告が届く。チャーリイ自身は予告を信用しなかったが、各国の大学で、優秀な学生が不自然な死をとげる同様の事件が頻発していた。チャーリイが人類の進化の方向につきひとつの研究結果を出そうとしていた時、彼は不自然な感電死をとげる。この事件の証拠や過去の同種の事件の分析データが消失する中、事件の鍵を握るのは「電波」であることがわかり、ついに犯人は追い詰められ自殺してしまう。事件は解決したかに見えたが、犯人の遺体が解剖に付された結果、彼は人間ではなく、生体電流を操り自由に電波をコントロールできる種族であることが判明する。この新種族を追って南米で彼らと接触するが、彼らは人類を継ぐものなのだろうか。

 この時代のSFはタイトルがどこかぎこちない。翻訳物の邦題がぎこちなかったこと(シェクリィの『人間の手がまだ触れない』やディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』とか)が逆に影響したのだろうか。

(★★)



日本沈没/小松左京/角川文庫

 一夜のうちに水没した無人島の調査を進める地球物理学者の田所博士と深海調査艇「わだつみ」の小野寺は、深度7000mの日本海溝で発生する大規模な海底乱泥流を発見する。
 各地の火山活動の活発化と地震の頻発。政府が秘密裡に開いた公聴会の席上、田所博士は、過去の観測例の集積からだけでは、予測できないまったく新しい現象が出現する可能性を指摘した。その発言は政界に隠然たる力を持つ渡老人は田所博士の言を信じ、深海潜水艇ケルマディックを提供。田所博士、小野寺、情報現象論の中田らを中心として、日本列島における異常事態を解明するための調査が進められていく。そうするうちにも、関東地方に大規模な地震が発生し東京は機能を停止する。日本政府も日本民族が生き延びるための対策に立ち上がるが、日本沈没まで10ヶ月しかない。そして日本の象徴富士山が噴火し、日本民族は日本列島からの脱出を開始した。

 私が子供の頃の最大の「SF」は、スターウォーズが現れるまでは、『日本沈没』であった。小説を読んだのはずっと後年であるが、我々がよって立つ日本がその国土ごと消滅するというアイデンティティーの消失どころのさわぎでないストーリーが日本中の関心を集めたのは、高度経済成長が終わるという時代背景もあったのであろうか。だとすれば、その後経済敗戦を喫し、その構造の根本的な転換が求められている90年代以降の我が国にはより切実なインパクトを持ちうるのではないだろうか。いずれにしても、SFというカテゴリーが人口に膾炙する契機となった偉大な大作であり、小松左京の一つの到達点であることは確かである。

(★★★)


サーチする:
Amazon.co.jp のロゴ


読書雑記へ

トップページへ戻る

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO